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チャプレンからのメッセージ
わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者の一人にしたのは、 わたしにしたのである。
マタイによる福音書 25:40
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上記の聖句は、今年度の新生病院礼拝堂の年間聖句です。
これは、2012年9月14日(金)から17日(月)の日程で、
静岡県で開催された「日本聖公会宣教協議会」で話し合われたことを基にしています。
東日本大震災の悲劇を踏まえて、絶望の内にある人びとのかすかな声に耳を傾け、
声を出せない人びとの「声」となっていくことが、私たちの使命として提言されています。
カルカッタの修道院で女子教育に打ち込み、
女学校の校長まで務めていたテレサ(左写真)が、
神のお告げによって貧者のために働くことを決意したのは1946年9月10日のことでした。
ダージリンに向う列車の中で、彼女は神の言葉を聞いたのだと言います。
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これは一種の神秘体験で、実際に彼女に何が起きたのかは他人に理解できないことでした。
しかし、人生には時として、このように「神の介入」といえる「とき」があります。
列車に乗り込もうとした彼女は、駅の雑踏の中で息絶えようとしているひとりの貧しい男の姿を見つけます。
思わず彼に歩み寄った彼女は、彼が「わたしは渇く」とつぶやくのを聞き、衝撃を受けます。
なぜなら、この言葉が、十字架のイエスが死の前に発した言葉だったからです(ヨハネ19:28)。
彼女は目の前で誰からも見捨てられて死んでいく貧しい男の中に、
十字架で死んだイエス・キリストの姿を垣間見ます。
後にバチカンから調査のため訪れた神父に、テレサは福音書にあるイエスの台詞を引用します。
それが今回の聖句『わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである』(マタイ25:40)です。
じつにわかりやすいです。しかしそれがわかったからといって、
誰でも悲劇のうちにある人々と関わりを持つわけではありません。
その後、テレサは、たった1人でスラム街に飛び込み、そこで生活しながら活動を始め、
1950年には「神の愛の宣教者会」をカルカッタに設立、以来、死を待つ人の家やハンセン病患者の家、
孤児院などの施設を開設し、多くの人びとを救いました。
テレサは、「一番大きな苦しみは、誰からも必要とされないことである」とも語っています。
カルカッタでなくとも、東北でなくとも、この小布施の地にあって、新生病院礼拝堂の声が、
このような絶望の内にある人びとのかすかな声に耳を傾け、
声を出せない人びとの「声」となるような働きがあると思います。
一緒にそのような働きをしていきたいと思います。
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