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ルカによる福音書 14:26

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自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない
ルカによる福音書 14:26


     

 この言葉の前には、「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、 更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」とあります。 したがって、非常に、厳しいことをおっしゃっているようにも思えます。しかし、 そうではなく、これは、とても優しいイエス様のみ言葉です。
皆様は、今まで慣れてきた世界観や人間観、「これでしかない」と思って生きてきた価値観を それぞれ持っていると思います。そのように慣れた世界から新しい世界に入っていく、 前の世界から離れるということは大変でなかなかできることではないと思います。 だから、以前の世界を「憎んで」という強い言葉で、新しい別の世界に行こうではないかという ことをイエス様は示しています。

私達が慣れ親しんでいる世界は、「もうこれはどうしようもないから変わり様がない」 とか「もう私はどうせダメな人間だからしょうがない」とか、 「あの人からされたことは死ぬまで忘れない」とか 「自分がやってしまったあのことは決して許されない」とかという、 変わることのない世界でもあります。このような世界から離れて、今までは決して考えられなかった、 「自分は許されるし、自分は許せる」というような新しい世界に入っていく、 そのように飛び越えていくことをイエス様はここで語っています。
すなわち、私達はやり直すことができるということです。 すべての罪は許され、新しい人生をやり直すことができます。 イエス様が自らの命を献けるということによって、人間の罪をすべて帳消しにしたところから始まる、 この希望がイエス様から贈り物です。そのような神の愛を知った時に、 私達は始めて自分の過去に犯した罪に向き合うことができます。 向き合うことを、イエス様は自分の十字架を背負いなさいと語られます。 自分の犯した罪、自分の弱さ、あるいは他人から傷つけられたこと、 それが帳消しになっているということを知ることが十字架を背負うことです。 そして、背負った時に初めて、すでに背負っているイエスと一緒に新しい一歩を踏み出すことができます。 これこそが十字架の喜びです。教会で十字架に向かって祈るとき、苦しいときもあると思いますが、 イエス様と一緒に希望を持って、神の恵みを感じながら、 イエス様とともに自分の十字架を背負っているときなのです。

<新生礼拝堂牧師 司祭 ヨセフ石田雅嗣>


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